個人ブログで発信中、こんにちは“おじさん少年”です。
この記事では
「感想文:為末大著“諦める力”を読んで」
についてお伝えします。
今回はアウトドア関連の話はなく、
なんといきなり書評(と言っても感想文)
どういうことかといいますと、、、
ビジネス系YouTubeでおなじみ“マナブさん”が「読書習慣を作ろう」と動画投稿しておりまして
「読書感想文募集」という宿題出ていまして
これを「いっちょやってみるか」という唐突な流れとなりました。
感想文に参加・提出したら「生のレスポンス」が返ってくるとのこと。
私もマナブさんの動画はいつも拝聴していますから
「ここはいっちょ参加して、本物からレスポンスくるかどうかやってみるか」と思いつき
いきなり「書評を書いてみよう」となったわけです。
推薦図書(?)の中にかつて読んでためになった【“為末大”著の「諦める力」】があったので
改めて「もう一度よく読んでみよう」と考えました。
今回は番外編ですが、私の備忘録・まとめノートも兼ねてブログの1ページにしたいと思います。
この本の内容を自分なりにまとめてみた
まず最初に本の要旨を“自分なりに”まとめてみます。
こちらの本、いわゆる自己啓発本の一種ですから
書いてある内容は巷で流行っている数多くの自己啓発本に共通していることが多いのですが、
面白いのは著者の為末大さんが、世界陸上でメダルを取るほどの超トップアスリートにもかかわらず“スポーツ根性論”を真っ向から否定しているところ。
熱血体育会系に染まりきれなかった筆者が、ドライな戦略的目線で“勝てる競技”を選別、自分自身をマネジメントすることで、陸上短距離種目で日本人初のメダルを取るという大快挙を成し遂げています。
若いうちは、何かにつけて「熱いヤツ求める!」とか「情熱を持ってすれば何とかなる!」など
そんなふうに“面接の達人(かつての就活のバイブル本)”で言われてきた我々世代からすると
このような超トップアスリートが“要所要所で方向転換し、戦略的に物事を進めている姿”を見ると
「あーこんなスタンスもありなんだなぁ」と改めて感心させられるところがあります(よく考えると昔そんな本はなかった気がする、、、)。
もちろん努力を否定するようなことは述べられていません。
それに戦略的と言っても「要領よくことを進めるべき」というのではなく
「しっかりと自分に合うものを見つけ出してそれに注力した方が良い」
ということが強調されています。
私が感じたこの本のポイントは以下の4点です
- ①:抽象度を上げるとゴール(目標)に向けたいろいろな道が見える
- ②:勝ち目がない・ゴール到達に絶対的なムリがあるなら、タイミングを見て執着を捨てるべき
- ③:様々な“現状維持の引力”にとらわれるな
- ④:すべての決断はトレードオフ、思い通りに願いを全部叶えることはできない
題名の「諦める力」にもある通り、特に②番と④番の内容はこの本でも重視されているポイントです。
「諦める力」オリジナル解説
以下、自分なりの解説です。
①:「抽象度を上げるとゴール(目標)に向けたいろいろな道が見える」について
いきなり「抽象度」などと言う言葉を使ってすいません。最近勉強したもので、、、使ってみたかったのです。
“抽象度”というワードはこの「諦める力」には出てきませんが、
「抽象度を上げる」=「ものごとを俯瞰(高いところから見下ろす)して見る」という意味です。
抽象度は違う書籍から引用したものです。
実は、私も最初「抽象度を上げる」と言っても中途半端な理解で“知ったか”こいてたのですが、
為末さんのメダルを取るまでの過程について当てはめたらしっくりきた次第です。
図示するとこんな感じになるかと思います。
為末さんは「陸上短距離競技で前人未到のメダルを取る」さらにざっくり言えば「世間をアッと言わせるほどのインパクトを与える」という“抽象度の高いゴール”を設定しました。
このゴールへの“到達”には様々な道があります。
“100メートルを選ぶ”のか“幅跳びを選ぶ”のか“ハードルを選ぶ”のか、、、
陸上競技種目は多岐に渡ります。
その中でゴールに到達するために“最も自分が達成しやすい・実現可能な道”としてハードルを選んだわけです。
このチョイスには冷静な分析があります。
- 外国人選手がハードルのメカニズムを考慮せずほぼ力技でこなしていたこと
が大きな理由だとか。自身のアドバンテージをここに見たのですね。
一方、もともとずっとやっていた“花形競技の100メートル”を選んだままだと
- あまりにも競技人口が多いこと
- 心身体的な強みが大きくものいうこと
などがあり、悩んだ末に「将来の見通しがない」と考えたそうです。
このままだと「1番達成したいゴールに到達しにくい」と判断し方向転換をしたのですね。
こうして“抽象度を上げてものごとを見る”ことによって“ゴール達成のためには様々な道筋がある”ことがわかってきます。
為末さんの経験談によりますと“この俯瞰して見る態勢”が養われないと(抽象度を上げて考えられないと)
結果、ゴールを達成するまでたった1つの道しかないように考えてしまいがちとなってしまいます。
これだと不利な条件のもとで“永遠にゴールに到達できない”ことになってしまう、
実はそうではなくて、様々な道があるので
抽象度を上げて“ゴール到達までの道筋をいくつか把握しておくことが大事”と述べています。
②:「勝ち目がない、ゴール到達に絶対的にムリがあるなら、タイミングを見て執着を捨てるべきだ」について
この本の中核となるべき内容だと思います。
日本では諦めずに何か達成したと話は非常に美談になりやすいです。
いや世界中どこでもそのような傾向はあると思います。
が、あまりに粘り・諦めない胆力に固執しても現実はそう“上手くはいかない”ことをマザマザと見せつけられることがあります。
為末さんも「自分の勝利の後ろには数え切れないほどの認知されない敗者がいる」と言っています。
例えば、「剣の道を極めたい人」いたとします。
“横軸が時間”となっているのがポイント
剣の道にこだわる事は全然構わないですが、芽が出なければその分「時間がどんどん過ぎていく」のは全人類に共通な事実です。
ある程度まで行ったら、「ここまでか」と見切りをつけ
- 違う方向を探る
- 趣味の段階に下げる
のも選択肢としてアリなわけです。
よく語られる名セリフとしてスラムダンクの「あきらめたらそこで試合終了ですよ」というあの言葉
私は、この言葉って名言集に収録されるくらい“めちゃくちゃ世間一般に影響を与えている”と思います。
ちなみに私はスラムダンク、「バッシュのエアジョーダン6を買いに行く回」しか読んだ事はないので、この名言の前後関係はわからないのですが、、、
とにかく何かにつけてはこのセリフ出てきますよね?
確かに「あきらめたらそこで試合終了ですよ」は“先生として”は正しい言葉がけだったかもしれません。
しかし現実問題、うまくいかないことにずっと執着して時間を浪費し続けているのが“リアルな姿”のことが多いはず。
「諦めない」これが本当に“常に正しい”ことなのでしょうか?
また、固執する理由は、“他人の目があるから”ではないでしょうか?
例えば「部活を辞める」時の感覚を想像してください。
スポーツは正直言って「才能のある奴にはかなわない」ことの方が多いですよね。
まぁ趣味として楽しくやるならともかく、少なくとも自分の経歴として出すには“〇〇大会で優勝”などのアピールできる結果がなければプラスのポイントにはなりません。
なんとなく所属している動機が
- 属してない怖さから解放されたい気持ち
- 本当は天才かも、いつか能力が開花されるかもという思い込み
- メジャーなスポーツなら女子に一応アピれるという下心
だと「うまくサボる」ことばかり考えて
その時にはいいかもしれませんが、いずれ「時間の無駄だった」と気づくことになるかもしれません(私は剣道がそうでした)。
端的に言うと
「やっていて先が見えないならさっさと見切りをつけたほうがいい」
超トップアスリートの為末さんですらそのように考えていたようです。
私が考えるにこのような状況はアスリートに限ったことではありません。
学術界における“ポスドク(有期の雇われ研究員)”もよくこういった現象が起こるでしょう。
「研究を続けて大学教授の席・アカデミックなポジションを狙いたいから」という理由でポストドクターに在籍し、博士どうしの戦いに巻き込まれた結果、そこそこ明晰な頭脳があるのにもかかわらず貧乏な暮らしを続けている人はたくさんいます。
クソみたいな天才は、実はマッドサイエンティストのような感じで存在せず
“ザ・天然素材”のような天然ボケのいい人です。
どんなにがんばっても到底かないません、、、
また学術的なテーマといえども流行・廃りにかなり左右されます。日の目を見ない研究も多数。
文系の修士課程・博士課程の人なんかは嫁さんに養ってもらうとか
めちゃくちゃ高学歴なにもかかわらず全然食っていけないとかよくある話ですよね。
はたから聞いている分には頑張ってほしいと思うのですが、現実問題、その人の身になってみるとかなり厳しい状況です。
タイミングをみて執着を捨てれば①の内容につながってくるのだと思います。
余談ですが、スラダンのあの安西先生の言葉
美談として受け取られているものの
本当に作者は「あきらめるな」だけを伝えたかったんでしょうか?
聞いた話によると最終的に主人公の学校は優勝せずに負けてしまうそうですよね。
あれほどの作品の作者がただ単に熱血根性論だけで「あきらめるな」とメッセージしてるとは考えにくいのです。
「美談として“あきらめたら・・・”を伝えたかったのかどうかナゾ」と思うのは私だけではないはずです。
③:「様々な“現状維持の引力”にとらわれるな」について
「諦める力」によりますと、
“ものごとに執着する”ことには大変強力な負の魔力のようなものがあり、そこから脱却しようとすると引き戻そうとする力をモロに受ける
という主旨の内容が述べられています。
同様な内容の言葉を他の本から引用すると、「ホメオスタシス」と呼ばれるみたいなのですが、
“現状維持のための引力”と言ってもいいでしょう。
為末さんの場合だと“みんなの応援や多くの人の期待”が
競技転向や引退に対するホメオスタシスになっていたようです。
アスリートとして応援されることが嬉しくないわけがありませんし、
トップになれば多大な期待を背負わされて当然のことです。
ただし筆者曰く、よく考えると「応援する人たちには一切の責任がない」ので
逆を言えば「応える方も大きな自責の念を負う必要ない」のでは?
と問いかけています。
「何やってんだ!タメ~」のモノマネに代表されるように
ピークを過ぎてうまく勝てなくなっても“次を期待”された筆者は、
「ある程度自分が納得できたら自己責任で引退し、この現状維持(現役続行)の引力から脱する勇気が必要だ」ということも言っています。
いつまでもみんなの応援に応えたい気持ちはあるが、限界を感じたら違う場所にゴールを設定するのも考え方としては正しい
と言っているのです。
為末さんのような知名度のあるトップアスリートだったらその後も何とかなるだろうと勝手に考えてしまいますが、
私たち凡人の場合ですと
“現実的に”この現状維持の引力=ホメオスタシスから脱出するには、とても労力が要ります。
まず
勇気のほかにも“安定した財力”が必要でしょう。
特に今現在で“ある程度安定した状態”ですとその引力=ホメオスタシスは非常に強力なもので、
やはり
- 自分の身を保証してくれるような財力
- 仕事環境
が提供されない限り、いや自分で見つけ出さない限りなかなかここから抜けるのは大変だと思いました。
④:「すべての決断はトレードオフ、思い通りに願いを全部叶えることはできない」について
③の解説で述べたように“現状維持の引力から脱する”にはかなりの「勇気+財力」が必要だと考えます。
もちろん「諦める力」でも同様なことが述べられています。
ただしここで為末さんが強調しているのが「トレードオフ」の考え、
トレードオフとは言い換えれば「等価交換」
「何かを得ようとすれば何かを失わなければならない」というハガレンで有名なアレです。
つまり“安定したまま”では、
莫大な引力がかかる“大気圏突破は無理”
と言うことでしょう。
我々が求めてしまいがちなのは
「なるべく、いや、めちゃめちゃ無難に大気圏突破したいなぁ」
という矛盾した考え
「諦める力」では無論
そのような内容・具体的な方法については述べられていません。
まぁ当たり前と言えば当たり前なんですが
「人それぞれ自分で考えろ」ということですよね。残念ながら、、、
つまるところ「危険なく大気圏を突破できる方法はまずない」わけです。
それだけだとあまりにも未来が見えないのですが、
「諦める力」では、この引力を抜ける際に重要な考え方についてはしっかり言及されています。
それが
「自分で勝てるフィールドを見つけ、必ずそこで戦おう」というものです。
為末さんは100メートルでかなりの実力者だったにもかかわらず
“メダルを取る”というゴール到達のために“勝てるフィールド”へとチェンジしました。
どうやら
この自分なりの“勝てるフィールド”を見つけるのが私の課題
のようです。
ビジネス系YouTubeバーの方々
特にマナブさんの話の中には
“安定した”とはいえないまでも達成可能な「財力の作り方」について
より具体的な情報があります。
このご時世、ここに鬼努力・鬼継続しなければホメオスタシスの力に負け、また“元の状態(今まで通り)”か“さらに悪化”の人生が展開されることになってしまうでしょう。
感想
正直、世界陸上でメダルを取って常人よりもはるかに成功している筆者のことを思うと、
恵まれた才能に溢れうらやましい限りですが、
私が「この本で感想文を書こう」とチョイスした理由は
為末さんが“マジで悩む生の姿”を目の当たりにした人の話
を聞いたことがあるからです。
つまり「他人のよた話の中に急に為末さんが登場しただけ」なのですが、、、
私の仕事の同僚(名前をホラー君とします)がアメリカに語学留学している時、アメリカ在住中の為末さんに会ったそうなんです。
本の中でも「アメリカに3年在住した」と書かれています。
出会いは意図的ではなく偶然に飲み屋で隣同士になったそうです。
ちなみにホラー君は為末さんのことは微塵も知っておらず、「何か陸上やってた人ですごい人らしいけど、知ってる?」などと私に言っていました。
ホラー君は為末さんから「ファッション関係の仕事をしたい」という当時の希望を聞き出していました。
知っている人は知っているかもしれませんが、為末さんは陸上アスリートの中ではかなりオシャレで私もそれは結構気になっていました。
ホラー君は今後の身の振り方で悩む為末さんに向かって、
「ファッションでなんてうまくいくわけない陸上を続けなきゃダメだ」的なことを言ったそうなんです。
「言ってやったぜ」みたいな感じでドヤ顔のホラー君を見て
「こいつ、あの為末大に向かって説教たれるなんて、無知とは怖いもの知らずなんだな」
と思ったものですが、、、
このホラー君の言い分は
「諦める力」の中で示されている典型的な“責任ないホメオスタシスに当たるもの”なのだなあと
今になって思います。
それでも為末さんのためになったんでしょうか、
少なくとも反面教師的な役割になってこの「諦める力」の糧になっていたのかもしれません。
この話を聞いた私は
言ってみれば天才アスリートの為末さんですら
自身の人生の岐路で「本気で悩んでいたんだ」と思いました。
文中にある
「たかが人生踊らにゃソンソンである」というフレーズ
ちょっと為末さんのイメージに合いません。
「踊らにゃソンソン」と言われても子どもや家庭がある私としては
踊ろうにもつい足がすくんでしまいます。
正直言ってほとんどの人がそうでしょう。
ですが
この本の大きな特徴である「自分が勝てるフィールドを見つけよう」の観点には強く賛同できます。
- 自分がアドバンテージを発揮できる商品は何か作れないか
- 何かオリジナリティーを注ぐことができる場はないか
こうしたことに注力し、具体化していくことが自分自身には重要だと考えました。
気に入ったフレーズ
〜感想に付け加えて〜
ふとした一節がいつも気に入っています。
それはアメリカンな考えに否定的なこの文章
「僕は何でもポジティブにしなければ気がすまないタイプのアメリカ人になじめなかった。何かが絶対に正しいと信じている人が苦手なのだ。」
為末さん自身はアメリカに3年ほど留学なのか自分探しの旅なのか行っています。
現代の何から何まで「欧米化が正しい」という風潮において、
「アメリカ人のなんでもかんでも良かったものにしよう」という考えに賛同しないスタンスがめちゃくちゃ共感できました。
かっこいい。
サムライと言われるわけです。
このご時世、“日本は全てがダメ”となっていますが、
私は、ダメと言われても一方で「アメリカ人になりたい」わけでもありません。
為末さんは自分のオリジナリティーで「まず不可能」とされていた陸上短距離競技で
日本人の初メダリストとなったわけです。
アメリカンズの考えに傾倒するばかりでなく、否定的な側面も持ち
なおかつ結果も出す
こうした姿勢の筆者が記す本書は“信頼に値する内容だな”と個人的には強く思います。